先頃参拝した宇佐神宮は、わたくし自身、全国各地に祀られる八幡系の総本宮として、今世の大事な拠(よ)りどころとさせていただいている場です。
数年ぶりに無事にお参りすることができたありがたさと、前回よりも少しでも自分が成長していることを願い、八幡大神にはすべてを御照覧いただく覚悟で真剣に祈りを捧げます。
今回ご紹介する宇佐神宮の“一之御殿”は、本殿入って一番手前に配されたお社です。八幡大神、すなわち、“誉田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)”を祀ります。
八幡大神よりは、普段以上に厳しき御言葉を賜りました。わたくし自身も、わがこととして首(こうべ)を垂れるばかりです。
皆様へ謹んでお伝えいたします。
Rinokia
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「今や民は、真実(=物事の本質・実相)を見ず、なんと虚(うつ)ろな物事(現象)のみを見て、心を浮(うわ)つかせているのか。
人ひとりの人生、ともすれば、その多く(=ほとんど)の時(=時間)を、この、虚ろなる物事に心動かし、惑い、あるいは慌(あわ)てふためき、ついには、心を大いに乱し、怒り、悲しみを益々助長させている。
さらには、虚ろなる物事は、(悪い意味で)狂喜乱舞さえも呼び起こしーーー 人としての領分(本分)をまるで忘却させるものでもある。
人生、一刻(いっとき)たりとも、人間という生命の領分を逃(のが)れるべくはなく、ゆえに、その人生(=日常)こそを、誠に実の有る(=意義深い)ものとして捉(とら)えることは、何よりも、この世に降ろされし、御霊(=民)の責務ではないだろうか。
民がもし、この世の実相を見たならば、そこから生ずるおこない(言動・生き方)は変わる。
人は、自らに与えられし様相(=立場・環境・現実)の他は、たとえ見ることも、そして想念を起こす(※感情をもったり、考えたりする)ことも、けして叶(かな)うまい。
ゆえに、何もかも、“目前”(の現象)にての、自らの向かうさま(=姿勢・態度)と、そして気をそぞろかせず専心すること、この日々の積み重ねが、わが国の民の“すべて”である。
その、誠実たる姿勢、振る舞い、そして、自らの人生をまっとうするべく打ち込む日々の積み重ねは、何よりも、高みへの強固なる“階(きざはし)”となり、やがて視界に広がるは、新たなる挑戦(の領域)と、そして、喜びに満たされる景色となるだろう。」
(次回は②二之御殿 へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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